プロフィール

昭和43年7月 長野県信州新町(現、長野市)に生まれる。

昭和62年4月 武蔵大学経済学部経営学科入学と共に上京。

在学中に観世流謡曲部に入部し、その活動にて能に惹かれ、謡曲部指導者永島忠侈(現、芸時上の父)を通じて能楽師の道を志す。

平成3年3月 武蔵大学卒業と共に観世喜之に入門(観世流九皐会

五年間の住込み修行を経て

平成9年9月  観世流準職分に認定され、能楽師として独立。

平成11年2月 初めてシテ(主役)「竹生島」を勤める。

平成                      武蔵大学人文学部記念行事にて薪能が開催され、能「羽衣」を勤める。

平成16年10月 能楽師の登竜門と言われる能「道成寺」を勤める。

平成19年9月  武蔵大学謡曲部記念公演を謡曲部OBと共に開催し、能「半蔀」を勤める。

平成20年6月  初めて自主公演第1回古川充の会を主催し能「海士」を勤める。

平成21年6月  故郷長野県信州新町にて地元の謡曲連合会と共に第1回信州新町能を開催、能「巴」を勤める。

平成23年9月  芸事情の父、永島忠侈と共に能の会を開催能「三輪」を勤める。

平成24年3月  杉並文化協会の助成を得て、春休み能楽鑑賞の会(於セシオン杉並)を開催、能「橋弁慶」を勤める。この時子役の牛若丸は長女の穂奈美が勤める。

平成25年6月  永島忠侈の芸養子となり、永島充を名乗る。

平成27年11月 第1回永島充の会開催。能「松風」を勤める。

平成29年9月       重要無形文化財総合指定保持者の認定を受ける

令和元年9月 能の会にて能「安宅」を勤める。

令和3年1月 九皐会定例公演にて「翁」を勤める。

シテ方観世流九皐会の能楽師として演能活動に携わり、九皐会定例公演等年間数曲のシテを勤める。

謡曲愛好者への指導も行い、都内、立川、長野、札幌にて稽古場を持つ。

能との出会いから今まで

能楽師の家に生まれたわけでは無く、長野に生まれ、大学入学と共に上京しました。祖父が謡を嗜んでいる事は知っていましたが、興味を持って聞いた事はありませんでした。父も少しかじったらしいのですが、本格的には稽古はしなかったそうです。

幼少期より近所の友達や、学校の友達と野球をしたりするのが好きで、外で遊ぶのが好きでした。中学校では野球部に入り、その頃から音楽を聞くのが好きで、段々と洋楽に傾倒していきました。

高校は通学に時間がかかったので、帰宅部でしたが、ますます洋楽が好きになり、友達とバンドを組んで楽しんでいました。

東京の大学に入学したいと願っていた頃は、大学を卒業したら、サラリーマンとして勤めると漠然と思っていました。これといった方向が見えていたわけではありませんでした。ただ音楽は続けていたいなと思っていました。

そして武蔵大学に入学して能に出会いました。自ら能のサークルを見つけたわけではなく、勧誘されて入部しました。初めは今まで関心の無かった日本の文化を学ぶことに戸惑いは有りましたが、先輩や同期の仲間達と稽古し、指導に出向いてくれていた現在の芸父に指導を受け、また能の舞台を鑑賞するうちに、次第に魅力に引き込まれて行きました。