弱法師 見所案内

津ノ国(大阪府)四天王寺を物語の舞台とした、春先梅の咲く季節の曲目です。

先ずワキ(高安通俊)が登場し、我が子を讒言により追い出したが、後悔の念にかられ天王寺(四天王寺)で施行(貧しい者への施し)を行う事を告げます。

シテ弱法師(盲目の乞食行者)が登場し、橋掛りの幕ぎわ三の松にて正面を向き一声サシ下歌上歌を謡い、上歌の途中より謡乍ら舞台へ歩みます。穏やかな難波の海を前に、悲しみのあまり盲目となった我が身の境遇を嘆き、救いを求めて天王寺へ詣る旨を謡います。

その中で盲目の我が身を、罪人として暗闇の道を歩く罪無き修行者に譬えています。

橋掛りから本舞台へ歩む途中、付け根の柱(シテ柱)を天王寺の石の鳥居に見立て、杖でここだなと確認する所作が見所です。

弱法師も通俊から施行を受けますが、その時梅の花の香に気付きます。弱法師の袖に散りかかる梅の花も施物の如く感じられます。

視覚の無い弱法師は他の感覚が優れているのでしょうか、梅の香りにより木のある所を感じ取ります。舞台の大小前の方に、見えない目で梅の木を見つめます。

そして、聖徳太子の発願にて、仏教が渡来して間もなく創建された四天王寺の経緯。ご本尊の御姿、伽藍の様子、難波の海のように広く人々を救う誓いなどをクリサシクセと云う謡の中に語ります。

この弱法師こそ追い出した我が子であると気付いた通俊は、夜になって父であることを告げようと決め、尚も日没の太陽を拝む日想観を勧めます。

天王寺の西門から、西の空に沈む太陽を拝みながらも、極楽の東門に向かうと弱法師は呟きます。謂れを尋ねると、西の方にある極楽から見れば、天王寺の西門は極楽の東門に向かっているではないかと。

やがて夕暮れの難波の浦の景色の中、記憶の中にある難波の浦の景色、住吉淡路島、須磨、明石、遠く紀の海までも見渡し、心に浮かんだその美しさに興をそそられ、杖を突きながら舞を舞います。しかし、あまりに興に乗じて人にぶつかり杖を落としてヨロヨロとよろめきます。

日も沈んだ頃、通俊は私が其方の父であると明かし、驚き戸惑う弱法師を励まして我が家へと伴い帰るのでした。